ペットロス症候群が重度にならないよう、杏が7歳を過ぎたあたりから、記事を読んだり、私より寿命が短いことを、時々やっていた。
実際杏を失って、3日目。
自分を客観視する機会にもなるかも、とちょっと思ったことを記してみる。
正直、昨日までの記憶はプツプツと途切れ途切れで、杏が居ても変わらずやっていた、洗濯、掃除をすることで、やや気分を紛らわしていた。
1日目は、分からない。
2日目は、副作用があると分かって、ステロイドを蒸しパンにくるんで、騙すようにあげていたことを悔やむ。
なぜ倍増にしたのか、1.5倍にしてたら、ALTはそんなに上がらなかったのではないかと思った。
そして、食に興味がなくなり、アイスばかり食べていた。口に入れると、噛まなくても勝手に溶けて、喉も潤うし、糖分も取れて、唾液を飲む感覚で胃袋に入っていく。
なんて便利な食べ物なんだと思った。
食に興味を無くして、子どもたちには申し訳なかったけど、作る気が起きず、買ってばかりだった。しかも買ってくれていたのは夫で、洗い物も夫任せ。
3日目の今日、仕事をしていても、思い出してしまったり、思い出さなくても、妄想を抱いている。
ステンレスのペンダントに少し杏の骨を入れて首にかけた。
ペンダントに語りかける。これからは今まで乗れなかった電車に乗って、杏が留守番中、私がどこへ行ってたか、教えてあげると。
時々、足元にいるような気がしてしまう。
足元というか、私の横を散歩の時のように、いる気になってしまう。
でも居ないから、泣きそうになる。
居ないんだと、言い聞かせると、肩のあたりに、ふわふわと杏がいるような気になってくる。そうすると泣きそうになる。
それが仕事中だったりすると、その、肩のあたりにいるような妄想に、
(今仕事中だから、あっちいってて!)
と心の中で、そのふわふわな気のせいを消すイメージをする。
その時の杏はここ最近ではなく、元気な時の、あの、ガニ股歩きの杏の後ろ姿が浮かんでくる。
そして、今まで杏にお花をあげたことも、お線香をあげたこともないのに、居なくなったからと急にあげる気にならず、あげていない。
あげてしまったら、死んでしまったと認めてしまうようで拒否しているのかも。
とりあえず、日中は杏の、ほぼそのままの寝床にお骨を置いて、夜は復活させた診察に連れていき、ベッドサイドへ乗せて寝た。
脳の「理解」と「感情」が全く別の場所にあるんだろうな、と思う。
私は敬虔な仏教徒でもないけれど、都合よく使わせてもらうつもりでいる。
少なくとも、49日までは、妄想も幻想も、幻覚、幻聴、思い出し泣き、全部あったって、良いと思うようにして3日目。
時々、冷静に、客観視しようと思ったらまたブログに残してみたい。