杏とお別れをして、25日目。
あれ以来、淡々と過ごしているものの、色々と変わってしまった。
・写真や杏の骨が入った壺を撫でながら、会話をしている。挨拶は都度、している。
・敬虔な仏教徒ではないけれど、49日までは毎日やろうと、お花を絶やさないことと、お線香をあげ続けることをしているけど、もう25日が経ってしまった。多分、日課になるんではないかな、これは。
・妄想、幻覚的なものは、1週間ほどで見なくなった。
でも、
・まだ6/12に届いた杏のフードが入っているはずの段ボールは開けられていない。
・杏とお別れしたら、滑り止めマットとか取り外すんだ!と思っていたのに、そのまま。
・杏の食器、お散歩グッズもそのまま定位置。
・杏によく作っていた鶏肉を買えなくなって、料理にも使わなくなった。
(惣菜として鶏肉を買うのはしている)
様々な場面で、まだまだ涙が出てきます。
車の助手席に付いている毛は、杏だろう。
とか、
掃除していたら、杏の食べこぼした
埃まみれのドライフードが一粒出てきた。においで思い出す。杏の為とはいえ、療養食…腎臓病のだったから、美味しくなかったと思う。ステロイドの食欲増進のせいだと思うけど、食べてたな。腎臓の為とはいえ、申し訳なかった。
もちろん、捨てられず、本棚にぽつんと置いて、そのまま。
とか、
他にも使っていたタオル、洋服も畳みこそすれ、そのまま。
シリンジ(50ml✖️3と、10ml✖️1)も、最期の時に使うだろうと取っておいたけど、10mlの方を最後の日に水を1.2ml飲んだだけ。
その10mlのシリンジは、洗うこともできず、そのまま。
そのままが沢山。
よく抱いた首周りの太さ、背中の手触り、肉球の感触、耳の厚さ、ガニ股歩きの後ろ姿…写真や動画なんてなくても、まだ思い出せる。
でも段々忘れていきそうでこわい。
そして、写真を見返していると、我が子が生まれて1年程は杏の写真の数が激減していた。
おそらく、写真の数に比例して、杏に目をかけ、手をかける頻度は少なかっただろう…。
楽しかった写真も沢山出てきた。
スノーシュー、カヌー、山、海、高原…
何を見ても、目を細めて笑うことは、まだ、できていない。