銀杏が綺麗な時期になりました。
真っ黄色な銀杏の木、一本。
というのを、みると思い出すことがあります。
父が旅立った時、病院で看取った後、家に帰宅した時、銀杏が綺麗に色づいていまして、以降、数字で覚える父の命日、より、木の色づきで思い出す父の命日ですかね。
その時見た銀杏の木は、枝葉を今年大伐採されてこの様…
色づき悪い。これまでこの時期真っ黄色だったのに。
紅葉のメカニズムを思うと、枝葉がない分、葉を落とさなくてもまだ平気だわー、といったところなのかしら。
生命が生まれる瞬間、過程はなかなか忘れられないことですが、(我が母は忘れたと言う💧)生命が終わる瞬間、過程もまた、忘れられないことです。
父は肺ガンでしたが、先生に言われた余命まではまだまだ先のことで、QOLの為の手術をしたばかりだったのですが、やはり免疫が落ちていたからだと思うけれど、常在菌により、急変。そのまま回復することなく旅立ちました。
たまたま、私1人の時で、私1人で看取りました。
人生が終わる瞬間も、急変から終わる過程も、葬儀前のなんだか揉めたこと、そして終わって葬儀が終わった後の母との確執も含めて、人の生き死にというのは何かしらインパクトを与えてくるなぁと思う。同じことを毎年思います。毎年あの光景を思い出します。
12月は私にとってはそんな月、なのです。