杏。14歳。インスリノーマに。私は肺マック&IBSに。

インスリノーマ罹患中の犬のこと、虹の橋に行ってしまった今は、私のペットロス、基礎疾患のコトが多い。

いつかは死ぬ、ということ。

6歳の我が子のこと。

 

昨年、愛猫が突然死し、一緒に火葬場に行き、骨を(子ども達は怖がってせず、見ていただけ)ひろい、骨壷と共に帰宅。

杏が今は見えないけど、おばあちゃんで治らない病気であること。

以降、子どもなりに【死】について思うことがあるようで、思えばそれからの1年、色々聞かれたなと思う。

 

愛猫が亡くなった当初5才の頃は

「死んだら骨になるの?」

と。

 

そうだと答えた記憶がある。

何回か聞かれ、色々な答えをしたと思う。

日本にいたら、燃やさないとさー、腐っちゃうしさー、とか、星くずになるんだよ、色んな形(元素)になっているよとか。

 

そのうち、「ママは死ぬの?」になったので、

いつかは死ぬよ、と。おばあちゃんになったらかなぁと。

 

またそのうち「なんで死ぬの?」と。

おじいちゃん、おばあちゃんになったらかもしれないし、病気かもしれないし、事故かもしれないね、と。

 

今日昼頃

「大きくなりたくないな、悲しいな」

と言っていて、私は

「なぁに言ってるの、嬉しいことなのよ〜」

なんて言ってた今晩寝る前また、

 

子「大きくなりたくないな、悲しい」

とはじまった。

私「なんで?悲しいの?」

子「死んじゃうから」

私「?誰が死ぬのよ?」

子「パパとママ…」

私「なぁんだ(笑)そんなのまだまだ当分先だよ〜、大きくって言ったって、○○がおじさんになるくらい大きくなったらかもよ〜(笑)」

子(少し微笑み…からの、顔が崩れてすすりはじめ)

母「やだぁ〜、大丈夫よ〜、すっごい先で[老々介護]って言葉もあるくらいだから、○○がおじいちゃんになってもママはもっとおばあちゃんで生きてるかもしんないんだから〜」

子「(涙ぽろぽろ)また、○○○○(子の姓名)にして…」以降ぐすぐす。

私「また○○○○になってくれるの?嬉しいなぁ、その時はまたママ待ってるからね(心の中で泣いてる私)」

 

その後夫と挟んで寝て笑顔で大丈夫だよと。

子「絶対、大丈夫?」

私と夫「ぜったい、大丈夫^_^」

と。

「そのうち、そんなことは頭の隅の隅に追いやる位、楽しいことが沢山待ってる。大きくなったら、色々なことができてそして、大きくなることが嬉しいと思うよ!ママは6才より、今のオバチャンの方が楽しいよ〜」

なんて言ってたら、時々頷きながら、ひっついてきながら、寝落ち。

 

きっと遠い未来、私が死ぬ時には、そんな子を悲しませてしまうかもしれない。

老々介護は、ママ、マル高出産だから、90過ぎまで生きないと老々にはならないかもしれないけど…

その頃には、親のことよりずっとずっと大切な、守るべき人ができていたりすると思う。

 

思えば私も何歳だったかは忘れたけれど、何度も何度も日をおき、年をおき、両親に似たようなことを聞いた気がする。

何度聞いても、先に親が死ぬこと、順番だからと。だから親より先には絶対死んじゃだめなんだよ。それは最大の親不孝なんだと言っていたこと思い出した。

当時はふーん、程度だったけれど、親になった今なら、意味も気持ちも分かる。

 

今日はまた、私の子どもにして、と6才のキミが言ってくれた。

こんな嬉しいことはないなぁと思って。

こんな宝物みたいな言葉もらったことあったかなー。

絶対、忘れないけど、もしももしも、忘れたら嫌だからブログに残す。

 

こんな親冥利に尽きる言葉を6歳のキミが伝えてくれた。感謝。