夫が子供外で子供の面倒をみている。
私と猫と杏だけの室内はとっても静かで、杏も…
うとうと。
レオナ↑もウトウト支度で膝の上へ。
エアコンの音、杏の寝息、レオナのゴロゴロ音、時計の秒針音、外で我が子らのギャーギャー声。
だけしか聞こえない。
我が子らがまだ新生児〜乳児のお昼寝タイムもこんな空気だったなーと。
その時は今とは逆で、杏が騒がしくて、杏に「しーっ!」とやっていたけど、
今は杏を眠らせてあげたくて、子どもらに「静かにしてあげて!」と言うように。
杏の場合、耳が聞こえないので、子どもらに言う時はドスドス走る時に。
いいなぁ、こういう時空間は…と思ったら…子ども🧒がもう戻ってきてしまった。。。
もう秒針と杏の寝息はかき消されてしまった。
そしてちょうど1年前の今日、愛猫のぐりが、何の前触れもなく、空へ行ってしまった日だ。
前にも書いたけど…朝ご飯食べて、日向ぼっこしながらのお昼寝中急にのこと。
死んでしまうことを他界とか空へとか、虹の橋とか色々な言い方があるけれど、個人的には、身体は神様からの借り物で、神様に返した説、そんな表現が今の私にはしっくりきている。
でも、虹の橋説で、私が死んだら、杏と会える(野良犬トビーの愛すべき転生みたいな)説も嬉しいな。
まぁ、どんな考え方をしても泣けてしまうのは変わらないのだけれど。