前々から足腰が弱くなったとは記してきたけれど、さらに弱くなっている。
心肺機能なのか、脳との神経伝達なのか、単純に足腰の筋肉なのか、は分からないけれど、もう、外へ出る時は抱っこする前提だなと。
目も見えているのか分からないけど、壁によくぶつける。
トイレ散歩は、100m継続して歩けない。
おしっこは、一時は日に6回していたものが、日に1.2回。そのかわり超貯めた量。
室内でふらつくことも増えて、よく飲み水の器をひっくり返す。
伏せる時は、意図的な姿勢というより、そういう風に伏せちゃった、という感じで、酷いと左右の後脚の向きがチグハグになっていたりも。
その度に立つよう手を添えて、寝床へ誘導して、はみ出ないようにガードして伏せてもらう。
トイレ散歩の継続徒歩の距離で足腰弱まり度がよく分かる。
目が見えていないからか、復路の存在を考えていないのか、彼女の行きたいように行かせると、途中で頓挫する。
後脚用の補助ベルトを用いても、立てず。
やむなく抱っこで帰宅することもあれば、休み休み何とかかんとか帰宅することもある。
昨年の今頃は、お散歩という言葉を理解して、「はいはい」な顔の時もあれば、
「行くか!」な顔の時もあったりして、
出たら出たで、行きたい場所が必ずあって歩いていた。
食欲があるから、薬も飲んでくれる、というのは本当に幸いだし、大まかなパラメーターになる。
インスリノーマが分かって、平均的な予後、寿命を聞いた時は、
「杏と歩いてきた道が、歩いた道になってしまう」
と泣いたこともあったけど、
杏が生きている今も、沢山の道が‘’歩いた道‘’になってしまった。
もう杏と歩くことはないんだろうな、とそれらの道を通る度に思う。
もう、彼女にしてやれることが、5本の指でたりるようになってきてしまった。
前のようにあそこへ出かけよう、ここへ行こうということはもう叶わない。
もう、大きめの公園にというのも、難しそうだ。車で行こうと思っても、それは無理をさせることになりそうで、夫に提案できないでいる。
そうやって、じわじわと杏と過ごしたことが過去になっていっている。
ガンは、そうやってじわじわと増殖して、
じわじわと私に覚悟をさせる。
杏の担当の先生の言った、寿命の時期に近づいて、これまで必要だったワクチン、フィラリアの予防も必要ないと言われ、医療面でも、じわじわと私に覚悟を促す。
覚悟をする時間を何ヶ月も作ってくれて、親切なのか、生殺しなのか、分からない。
でも一昨年愛猫を突然死で失ったら経験からすると、突然死より、じわじわと促される方が大分マシだ。