明日は49日を迎える。
まだ脳裏に焼き付いている、杏の最後の死戦期呼吸。
あの時は夫が「みんないるぞ!」と杏に叫ぶように呼びかけていて、
子どもは、私につられて、真似をして「あんずー!」と言っていた。
私は何を声をかけたか記憶にない。
毎日忙しい。
私1人だけなら、忙しくないのだが、子どもと夫が絡むと、時間が3倍速になる。
特に朝と夕方と夜。昼は仕事だから…💧
泣く間もない。
それでも毎日、杏ちゃんへのお花は切らさず、お線香も絶やさず。49日までは絶対に、となぜか自分で決めたことを続けている。
2.3日に1度は花屋を覗く。
空を見上げては、杏を思う。
なんで空を見ると杏を思うのかは分からない。
多分、散歩の時、何も考えてはいなかったけど、空を見ていたからかもしれない。
通るいつもの道に、杏の後ろ姿がまだ重なる。
あの子は、確かに、ここを歩いていたんだと、都度思う。
やっぱり、寂しい。
杏の小さな骨のかけらを、毎日首にかけていても、小さくなったとはいっても6寸の骨壷のに収まった杏に挨拶をしたりしても、それで寂しさが紛れるかというと、そんなことはない。
カメラ目線の写真を見て、目が合っている気がする。
でも、いつもは杏は私を見上げていて、私は上から見ることが多かったから、本物の杏とは違うと思う。
いつか、また、会えるかな。
私の人生を考えると、もし、また、犬の杏と会うのなら、なるべく早く会いたいな。
明日49日。とはいえ、私は仏教は詳しく知らず、葬祭の時に都度意味を調べるような、無宗教な人間だけれど、そういう法要とかは、残された人のためにあるのかなと自己解釈している。
49日を調べると…
私が杏とまた会うなら、六道というところにいって、生まれ変わらないといけないようだ…。
なんかこの辺を調べると、気持ちがザワっとしてしまったので、途中でやめた。
自分の都合の良いことだけピックアップすると…
明日は忌明け。
杏ちゃんは…六道とかそんなんじゃなく、また、会いたい。
杏ちゃんがいたから、杏ちゃんといたから、入らなかったお店や場所も沢山あったけど、それ以上に、できたこと、楽しかったことは沢山ある。怒ったことも、怒られたことも、泣いたことも、さびしい思いをさせたこともある。
泣けてきたので、ここまで。