杏。14歳。インスリノーマに。私は肺マック&IBSに。

インスリノーマ罹患中の犬のこと、虹の橋に行ってしまった今は、私のペットロス、基礎疾患のコトが多い。

杏ロス まだ続く

杏を失くしてからの、私のその日その時の心境をつらつら、自分の感情コントロールの為に綴っているようなもの、となってしまっているが…綴る。

 

杏と別れて、記憶の新しいうちに、ブログは打っていたものの、アップすることが出来ず、下書きにずっと残していた。その時の記憶、気持ちがそこには新鮮なまま、残っていて、読み返すことは出来なかったし、今も出来ていない。

 

それでも、【下書き】を見ると出てくる。

杏とお別れしてもうすぐ3ヶ月、90日。

季節も変わる。

私のIBSから思うに、身体はまだ引きずっている。コントロール出来ずにいる。

私の気持ちも、間違いなく、引きずっている。

毎日毎日、杏を思い出す。思い出しては涙が出てしまう。声に出さずともここにはいない、でも魂としてはいるかもと思い、杏に向けて話しかけると涙が出てしまう。

 

近いうちに、そのブログを公開しようしよう、と思って3ヶ月が経つけれど、いつまでも下書きにあることが、私の気持ちそのもののようで、自身の為に、どこかのタイミングで放さないとな、と思っている。

 

最近、(今すぐではないけど)保護犬の預かりボランティアをしようか、保護犬を迎えたいな、と思うこともあり、HPを見たりする。

その子達の性格、状況を見るに、元飼い犬ではない子は完全に【犬】であり、【家庭犬】とは程遠く、ヒトは疑い、恐れる対象としている子もいるように思えた。

 

そう思うと、杏は…あの子は、なんだったのだろうか。

私と大げんかをした時、しばらくはお互い疑心暗鬼の顔をしていたけど、

その時以外は、完全に、家族だったんだな、そしてあの子も私の事を、家族として受け入れてくれていたんだろうな、と思う。

(彼女からすれば、選択肢はなく、受け入れるしかなかったというのもあるにせよ)

 

その名前を呼んでも、もう来ない。

生きている時も感謝の気持ちは伝えてはいたけど、いなくなってその気持ちは深く、広がるばかり。

杏と暮らしてきた何気ない日々、一緒にお出かけした日々、病気になってからの介護や医療費で大変だった日々ですら、どんなに幸せであったか、どれだけ私の人生を彩ってくれていたのかを、失くしてから感じる。凄まじい消失感だ。

40数年の中でトップ1.2あたりな気がする。

 

ロスなんだ、これは、ペットロスなんだ、と言い聞かせても、沈む気持ちも、涙も相変わらず出てしまう。

でも、こうして会えなくなっても、日々杏を思うということは、心の中に杏がいるとは、こういうことなんじゃないかと、思ったりもしている。

 

そして最近、杏に話しかけ、終わりには

「あんちゃん、早く着替えて、こっちおいで!」。

死ぬ前は、杏に対して、ずっと首輪、リードを付けさせてくれた、こんなもの、外して好きに、自由に、思うままに、私のことなんぞ忘れて、元気な身体であれよと思っていたが…己の弱さをただただ、実感するのみだ。