以前、犬のことをテーマにしたテレビを見ていたのだけれど、
本来、犬だって、首輪なんぞしたくない。リードだってしたくない。
でも、むかーーーしむかし、犬の祖先のの人に寄り添おうとしたオオカミは、(当時当然首輪もリードもないだろうが)人のそばにいて、番をすることでご飯をもらえると。
自由と引き換えにしてでも、安定的にもえるご飯を選んだと。
その遺伝子がずーーーっと来て、今。
そうなのだ。思えば杏だって最初は首輪に慣れてもらうところから入った。
リード→散歩と理解した。
首輪なんて、嫌だよね、本来の元々なんて。
それでも私に首輪をつけさせてくれて、散歩の時にはハーネスも受け入れ、リードを繋ぐのを待っている。
単純に考えれば、散歩行きたいからでしょ、で終わるけれど、本来生き物は、首輪を付けるものでは、ないわけだ。
人と生きることを遠い祖先が選んで今がある。それも1つの生存戦略ではあるかもしれない。
本当のところは、私は専門家でもなんでもない素人だから、そのTVの内容をふむふむと見ただけだ。
だけど、首輪をつけ、ハーネス、リードを受け入れる時、杏にありがとう、と思う。
杏の自由を私に委ねてくれている。
だから、杏が死んでしまった時には首輪は取ると決めている。(火葬場的にもNGだろうけれど)
魂はあるのか分からないが、少なくとも魂レベルになった時は首輪は私が持ち、杏には本来の自由を返したい。
横で寝息を立てる杏。
あんちゃんの前では泣かないと決めたけれど、寝ている時はたまに、こっそり、オバチャンは鼻をすすります。
耳も遠くなって、ちょっとやそっと、ズビズビしても聞こえないみたいなので😅